秋。【日常】
生きてます。
お人形界隈でブログを書くのが流行っているようなので自分も…と思ったのですが、特に面白いことも書けなさそうなのでやめました。お人形は相変わらず好きです。かわいい。でも小説を書いたり映画を見るのも好きです。あと10年前に好きだったバンドが形を変えつつも今も現役で活動していると知って大変嬉しい。今度絶対ライブに行きます。


綺麗ですね。いつか彼岸花の群生地に行ってみたい。

どうにかこうにかです。
あ!毎年恒例(恒例?)の小説の公募に長編を送り込んだりもしました。そろそろなんとかなりたいです。どうかな。新しいのも書かなくては。
そんな感じです。
またねー。
お化粧直し【日常】
今年もふわわんとドールを愛でている。
過去の記事はこちら。
私の大切なドール、藍が手元にやってきて一年以上が経過した。
ちょっと写真を見てほしい。


可愛いんだけど、一年経つとフム…となる面があって。
それは、メイクの薄れ。
去年の写真と見較べると良く分かる。眉やアイラインが明らかに薄くなっている。藍を我が家に迎え、その後彼の後輩というポジションになるドールを数体迎えた。とはいえやっぱりいちばん好きなのは藍だ。藍とはあちこち一緒に遊びに行ったし、ドールカフェでお誕生日会もした。メーカーデフォルトのこのメイクも、薄まったとはいえ気に入っている……が。
このままもっともっとメイクが薄くなってしまって、取り返しのつかないことになったらどうしよう? という一抹の不安が胸を過ぎる。過ぎった時点で答えは決まっている。メイク直しをしてくれるカスタマーさんを探そう!
藍を購入したお店に依頼して、藍の実家である中国のメーカー・fatemoonsにメイク直しを依頼するという手段もあった。だが私はこの一年のあいだに察していた。fatemoonsさん、すごく可愛いドールを作ってくれるしメイクも綺麗なんだけど、なんとなくその時のテンションによって仕上がりが違う…!
この話は後日改めてしたいのですが、同じヘッド・同じメイクであるはずのドール二体を並べたところメイクが全然違う…工房で何が起きていたんだ…という出来事があったので、fatemoonsさんのことは大好きだけどメイク直しを依頼するのはなし。中国に行って帰ってだと時間もかかるし…。
そこでtwitter(X)をフル活用し、ドールにメイクを施してくれるカスタマーさんを探すことに。色々な方が期間限定でオーダーを受け付けていたり、抽選だったり、先着だったりとやり方も様々な中、遂に見付けた素敵なカスタマーさんにメールを送信! 返信が来る! メイク直しの予約完了! やったね!
しかし、メイク直し=今のメイクを全部落として新しいお顔になる、ということ。少し寂しかったのでメーカーメイクの写真をいっぱい撮り、ヘッドを梱包し、専用の箱に入れ、カスタマーさんの元に送り出す。……ここまでが今年三月の話。
カスタマーさんは大変対応の良い方で、完成までに二度、メイクの進捗を写真付きで教えてくれました。それもあり無事に綺麗になってる! 藍はやっぱり可愛いなぁ! とドキドキしつつも安心して待つことができました。感謝の気持ちでいっぱいです。
そうして完成したnew・藍。ご覧ください。




最高〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!
勇気を出してメイク直しの旅に出して良かったなぁ、という気持ちがずっと続いています。ちなみに藍が我が家に帰還したのは四月中旬で、カスタマーさんはほぼ一ヶ月でこの最高メイクを仕上げてくれたという…GOD…!!!
この最高メイクも一年が経ったらまた薄れてしまうのかな、という気持ちと、そうなったらまたカスタマーさんを信じてメイク直しの旅に送り出そう、という気持ち。更に、メイクを変更すると「私の好きだった藍」はいなくなってしまうのでは…? という少しばかりの不安があったのですが、そんな不安は全然なくなって、メイクが変わっても私の藍は藍! 何も変わらん! 最高! となったのでした。
そういう、記録です。
カスタマーさん、本当にありがとうございました。
そんなことできるはずないの美学【映画】
2025年5月5日。池袋の新文芸坐さんで、『エグザイル 絆/放.逐』を見た。
🇭🇰速報!第三弾!🇭🇰
— 新文芸坐 (@shin_bungeiza) 2025年3月23日
香港映画復活の狼煙 vol.3
5/5(月)、7(水)、8(木)
『エグザイル/絆』
エレクションだけじゃないぞっ‼️
ジョニー・トー作品は、エグザイルも上映します。… pic.twitter.com/xOMSo0lRZj
世は『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』が驚くほどの大ヒット。こんな文章を書いている私も数回映画館に足を運ぶなどしており、21世紀に復活した九龍城塞、俳優陣の魅力的な演技に酔い痴れ、舞台美術の素晴らしさなどなど……まあ流行るよね。分かる。この映画はみんなが絶対好きになる、というような顔をしている。
そんな中、一度目に『九龍城砦』を見た際にすぐ思い出したのがジョニー・トー杜琪峯監督作品、代表作のひとつと言っても過言ではない『エグザイル 絆/放.逐』だった。(以下『放.逐』で統一。『放.逐』、『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』両方のネタバレを含む記事となります)
シンプルな物語だ。黒社会のボスを撃った男・ウー(ニック・チョン張家輝)。その男を守りたいふたりの男。その男を殺したいふたりの男。ボスを撃った男には妻子がおり、彼は死ぬ前に妻子に金を残したい、と言う。一緒に育ち、一緒に黒社会に入った(というような台詞がある)男たちは、ボスを撃った男のために大金を稼ぐため、大仕事に手を染めるが──というようなお話。
『放.逐』というタイトル通り、登場人物たちは繰り返し追い出される。組織から、安寧の場所だったはずの新しい住居から、友人の家から、ガス欠の車から、そしてこの世から。だが登場人物たちはなかなか屈さない。一緒に育って一緒に黒社会に入った──というのは説得に使われる台詞でもあり、守らなければ/殺さなければならない男が欠けたあとはごくごく自然に四人だけの芒洋とした旅路を流れ、そうしておっとびっくりそんなタイミングで? というような経緯で大金を得て、自分たちだけでも血生臭い黒社会から足を洗えるはずのタイミングからも──『放.逐』される。されることを、選択する。
強引に『九龍城砦』とこの作品を繋げる意図はない。ただ、『九龍城砦』を初めて見た時に脳裏を過ぎった感想が、昨日再び胸の中に浮かんだ。「タイ(ン・ジャンユー呉鎮宇)に背中を押され、クルマの鍵を受け取って生き延びたウーの妻(ジョシー・ホー何超儀)に抱かれていたあの赤ん坊が、30年の時を経て生まれ故郷に戻ってきたとしたら……どことなく『九龍城砦』に似ているのではないだろうか」と。
とはいえ、『放.逐』に出てくる悪党たちは(ウーの友人たちも含めて)ほとんど全員死ぬ。特に男性陣は見事に全滅する。生き残るのは後半突然登場してナイスガイっぷりを発揮するリッチー・レン任賢齊ぐらいだろう。リッチー・レンの役柄、そこまで悪漢じゃないしね。
だから、ウーの子どもが大人になって生まれ故郷に戻ってきたとしても、復讐する相手はいないし、お礼を言う相手もいない。2006年の作品ではあるが、物語の舞台は1999年。中国に返還される前のマカオが舞台だ。凱旋を果たしたとしても、そこには亡き父やその友人、敵たちが血まみれになって戦ったあの街はおそらくもう、ない。
だから別に、『九龍城砦』と『放.逐』を並べても何の意味もない。私の中にちょっと浮かんだ感想を活字に残したかった、それだけ。
もうひとつ。
この記事のタイトル『そんなことできるはずないの美学』。これもちょっと『九龍城砦』を思わせる部分が『放.逐』の中にあって、守るべき/殺すべき友人・ウーを失った四人の男はリッチー・レン扮するもうひとりの五人目の男と合流し、金塊を抱えて血まみれのマカオからの逃亡を試みる。結局彼らは逃げることではなく逃すことを選んで死地に向かうのだが、その直前の過度に和気藹々としたシーンで、それぞれが「金を得たらやりたいこと」を口にするカットがあり、大変印象的だった。
「勉強する」「銃の店を開く」「結婚する」──男たちが口にする望みはあまりにも細やかで、リッチー・レンが奏でるハモニカの柔らかい音も相俟って酷く切ない気持ちになる。その望みは叶わないのだ。これは作品を初めて見たわけではない私がその先の展開を知っているから思うわけではなく、概ねの観客がそう感じるのではないだろうか。逃げられるはずない。フェイ(サイモン・ヤム任達華)が彼らを許すはずがない。それに、劇中でも粛々と自体は最悪の方向に動いている。
『九龍城砦』でも、城塞が取り壊された後の夢を語るパートがあり、印象的だった。城塞四少のうちのひとり、信一が「カラオケ店を開く」と言う。彼の大切な人である龍兄貴とともに、カタギになる夢を見る。この夢もまた、「そんなことできるはずない」と観客の肩を落とさせる、切ない夢だと感じる。信一が敬愛する龍兄貴は黒社会の人間で、信一もまたその世界にすっかり染まってしまっている(そう感じさせる描写が『九龍城砦』には少なからず出てくる、あんまり自己主張してこないところが巧い)。
逃げられないのだ。一度その黒に染まってしまったら。
『放.逐』の男たちは、その命で真っ黒い人生を清算した。『九龍城砦』の若者たちはどうだろう? 私は原作のコミックや小説を読んでいないし、今後翻訳される小説と制作されるであろう映画をのんびりと待つ構えなので、なんとも言えない。あとネタバレは踏みたくないので今後の展開について連絡を入れてくるのもやめてほしい。
最近あまり使わなくなった言葉。美学。誰かに制限されているわけではない。私自身が小っ恥ずかしくて使わなくなった言葉。美学。久しぶりに見た『放.逐』には確かにそれがあった。守る者にも、守られる者にも、そして殺しにきた者にも。
好きなシーンを、最後に。
ラストシーンはもちろん観客みんなが好きだと思う。数年ぶりにスクリーンで『放.逐』を見て印象に残ったのは、自動車の中でのシーンだった。「おまえは死んでた!」「ウーが守らなかったらおまえは死んでた!」とハンドルを握りながら助手席のブレイズ(アンソニー・ウォン黄秋生)に吠えるタイ。さらには最早生きているのが不思議な状態のウーを後部座席で守りながら、ハンドルを握るキャット(ロイ・チョン張耀揚)に「家に帰るんだ!」と叫ぶタイ──。
タイという男のウーへの想いや、彼を守りきれなかった自分自身への怒り、不甲斐なさ、そのすべてがぎゅっと凝縮されている車内のカット。タイは、車の中以外では別に吠えないのだ。友達の前でしか、その本心を爆発させない。第三者の前に立つ際、彼はいつも静かで不敵な笑みを浮かべている。不思議な男。
そんなことできるはずない。黒社会から抜けられるはずがない。金塊を抱えて逃げられるはずがない。
そんなことできるはずない。九龍城砦がなくなったら、大切な兄貴分と一緒にカラオケ店を始めるなんて夢が叶うはずない。黒社会の闇は途方もなく深いのだ。
そこにはいびつな美しさがあって、『放.逐』の男たちは華やかな闇の中で大切な友人たちと笑い合いながら死んだ。『九龍城砦』の若者たちは、どうだろう?
太陽と学ランとステージとミラーボール【コンドルズ埼玉公演2024新作/『Here Comes The Sun』】

6月8日と6月9日。生まれ変わった我がホームことさいたま芸術劇場にコンドルズの公演『Here Comes The Sun』を見に行って来た。
事前にチケットは確保してあった。
8日はひとりで、9日には家族とふたりで見に行く予定だった。8日は14時開演にもかかわらず12時まで喧嘩してて「もう見に行かない!」「勝手にしろ!」とキレ合ったものの、最終的に見に行った。見に行って良かった。めちゃくちゃ笑ったし、すごく泣いた。帰宅したら家族が煮卵を仕込みながら「おかえり」と行ってくれた。私は、「明日は一緒に行こうね」としか言えなかった。

いい天気だった。
生まれ変わったさいたま芸術劇場は身構えていたほど知らない劇場ではなくて、いつも通りのさい芸がちょっとお洒落して迎えてくれた、みたいな感じだった。さい芸でのコンドルズを見るのはまだ三回目だけど、何かと何かを祝う彼らはさい芸におめでとうを伝えていたし、相変わらず元気に蜷川幸雄の名を呼んでいた。
妖精が出てきた。珍しく? タバコモチーフの演出があった。若手の見せ場が多かった。コンドル氏こと近藤良平さんは最高にキラキラの笑顔で、ずっと最高だった。勝山さんが嬉しそうだった。
石渕教授の見せ場が多すぎた。足のテーピング…心配!! 勝山さんとのライブ行きたいな〜。
ミラーボール。ミラーボールが輝く異世界。せり上がってくるステージ、爆音の中で踊り狂う学ラン姿の男たち。さいたま芸術劇場はかなり奥行きがある劇場だと思う。それをフルに使って、ダンス、コント、大喜利、和太鼓と様々なエンターテインメントの最先端に観客を連れ込み、やがて。
コンドルズの舞台の終わりは、いつも唐突で、良平さんの肉体ひとつで静かに幕を下ろす。
私は小説を書くのをやめようと思っていた。
でもね。
こんなに笑顔になって、手拍子して、ゴダイゴの『ガンダーラ』が耳から離れなくなって、良平さんの笑顔を見て、飛び散る汗、前列だからこそ聴くことができたひとりひとりの魂を削るかのような息づかい。
それを全部浴びて、「でもやめます」って言えないよ。
いや言ってもいい。言っても誰も困らない。そんな価値もない。でも狂気のVRゲームコントのラストで聞いたあの台詞。
やめますって言えないよなぁ。

Tシャツを買った。終演後ロビーに出てくるコンドルズのメンバーをなんとなく眺めた。良平さんはたぶん違うところから出てくるのだろうと思ったけど、そっちには行かなかった。
今度、ファンレターを書いてみようと思う。劇団もグループも、演劇もダンスも永遠ではないから。今、今の『コンドルズ』のパフォーマンスで私の魂をステージ上で丸洗いしてくれたことに、感謝。


新しくカフェができてた!わーい!!
…………あと!
これはネタバレかもだけど!(もう千秋楽終わったから許される?)まさかの小林顕作氏登場に「ギャーッ!!」て声が出ました。
まさか…そんな…そして元気すぎる…私は実はめちゃ初期の顕作氏しか知らなくて、なんならオフロスキーとかわかんない。たぶんテレビ持ってない時期。だからストプレ顕作氏しか知らない身にあの騒々しさは刺さったよ!!!! 想像していた500000000倍うるさかった。最高。足を大事に。
カテコ後、良平さんに首根っこ掴まれて(手も引かれて?)退場させられるのか〜わいかったな〜! 今度はダンスで、ぜひ!
順不同で好きだったところ、
・スサムストリート(怖…)
・ステージせり上がり!
・センター良平さんの肩越しに見える勝山さんの笑顔
・「チャンスタイム!」〜ガンダーラ(二度言う)
・教授の和太鼓コーナー
・ただ楽しい楽しいだけじゃなくて、みんなの背中の向こうに見える『世界』
・今回石渕教授推しだったな…と噛み締め
・オクダさんのTシャツ買えたよ!
そんな感じです。またコンドルズに会えるまで、生きる。
クズで無価値。【日常】
一度文章にまとめておかないと、SNSに何度も同じ内容を喚き散らかす人間になってしまうので、一旦ここに愚痴として認めておきます。
カクヨムコン9、擦りもしなかった。本当に。なんで書籍化できるって思い込んでいたんだろう。自分の頭の中が何もわからなくなって二日間寝込んだ。
家族に、「あなたの作品は今の時代、今求められている作品とは違うのかもしれない。いずれあなたの時代が来る」と言われて、それは慰めにも何にもならなかった。今。今認められたい。今認められないなら、もう小説を書く意味なんて1ミリもない。金銭が発生するわけでもないからな。今のメンタルだと時間の無駄としか思えない。
受賞された方々、特にフォロワーにお祝いの言葉を書くことができずにSNSのアカウントを消した。「おめでとう」の五文字を書き込むことができない。
恵まれている人に祝福の言葉をかけることができるほど、人間できてない。
ごめんね。
パソコン壊してデータ全部削除して死のうと思った。でもそういえば去年私を横溝賞の道化役にして楽しんでたのも、今回作品全落とししたのも同じ会社なんだよな…と思うと死ぬのもアホくさくなってきた。今はまだ文字を書ける状態ではないけど(この日記も全然うまいこと文字を入力できなくて本当に嫌)拠点を変えてみるのもいいかもしれない。某社、私のこと舐め腐ってるからなぁ。アマギフ程度で機嫌取れたと思うなよ。
自分の小説が死ぬほど嫌いだ。時代に求められているものを書くことができない自分も死ぬほど嫌いだ。死ねばいい。執筆を続ける意味なんてない。無価値。無価値ですよ。カネにもならねえ。読んでくださってる方にはありがたいな、申し訳ないな、と思う。だって私、今そこに虚無を置いてる。私の書いているものはつまんないんですよ。そして私が嫌いな……(何とは言わないけど面白いと思ったことのない)……ジャンルが「素晴らしいもの」として持て囃されている。現状。ああまったく。死ねばいい。死んで、これまで書いてきたクズの山と一緒に燃やしてほしい。
パソコンをベランダから放り出してぶち壊したい。SNSももう見たくない。何より私が生きていたくない。何年書いた? 何本書いた? それ全部クズで無価値だから、人前に出さない方がいいよ、と過去の私に教えたい。出版社のえら〜い人たちにマッチポンプの道具として作品を弄ばれたりするからさぁ、早めに筆折った方がええで。って。言いたい。
報われたいだけなんですけどそれすらダメで笑えてきた。
才能がないから死にたい。今年中に片付けたい、自分を。
言わせないでよ、こんなこと。【KAATカナガワ・ツアー・プロジェクト 第二弾(2024)】
2月8日。お久しぶりにKAATに行ってきました。
去年最後に足を運んだのいつだっけ…? と思いつつ、

これ見るの初めてな気がするので、シーズン『貌』はほとんど見に行ってないかも…?

もはや定番。「今年も会えたね!」と嬉しくなりました。
さて。
今回の目的はこちら。

『三浦半島の人魚姫』と『箱根山の美女と野獣』の二本立てです。
長塚圭史さんの新しい戯曲、それに前回の『冒険者たち』から続投の菅原永二さんが出演されているとのことで楽しみに見に行ったのですが…ですが…。
良い感想はもう公式が拾ってるし、KAATでの公演は終わってるのでいいよね? 素直に書いても大丈夫だよね? ツアーで見る予定の方はこの先の記事読まないでくださいね!!!
ものっすごいつまんなかった!!!!!
素直な感想を書きます。
『三浦半島の人魚姫』
・出演者の女性俳優ふたりの演技がひどすぎる(これについては後述)
・謎のダンスシーンが多く、その上ダンス自体が凡庸で面白くない
・ストーリーはいつもの長塚脚本だな…という感じではあったが、菅原永二さん扮する園長にすべてを委ねすぎ
・というか全体的に菅原永二さんに頼りすぎ
・急にお名前を出して申し訳ないが、近藤良平さんの影響受けすぎ
・二度目になりますがダンスがマジで面白くない
『箱根山の美女と野獣』
・話が面白くない、びっくりするぐらいつまらん
・繰り返しになりますが、出演者の女性俳優ふたりの演技がひどすぎる
・なんかこう…ちょっと捻ってみました! みたいなキャラ設定がしんどい
・ボイスチェンジャー……寒くない?
・話が本当につまらなくてもうほとんど思い出せない
◇ 良かったところ
『三浦半島の人魚姫』
・菅原永二さん
『箱根山の美女と野獣』
・異性装の男性でなく『女性』の役柄をきちんとやり切った菅原永二さん
◆ 最悪だったところ
・アフタートークにて明かされた、今回出演の女性ふたりはもともとダンサーで台詞がある舞台に出るのは初めてだということ。
・私が見たのはアフタートークがある回だったのですが、登壇したダンサー某氏が長塚さんにタメ口を利き、「え、ちょっと言ってる意味わかんない笑」などと過度にフランクに接していたところ。演出家を崇め奉れとは言わないが、アフタートークって内輪の雑談のために行われるものなんですか? 知らなかったな。ダンサー氏は知り合いに手を振ったり目配せしたりとずいぶん身内に手厚く行動していましたが、基本的に観客は置いてけぼりなんだな〜って感じました。シンプルに感じ悪くて嫌いになったので、氏の名前を見かけたらできるだけ避けるようにしようとすら思いました。
・ダンサー某氏とは2年前にSAFで行われた近藤良平さん演出の『新世界』で知り合ったという裏話。マジで近藤良平さんの影響受けすぎ。ダンスを取り入れるなとは言いません(上段で書いたのと同じく)。でも、近藤良平さんが行うような公演を目指すのであれば、今回のダンスはあまりにもお粗末・意味不明じゃなかったですか? 人魚のラストシーン及び美女と野獣の無駄なポーズ見せ、普通に恥ずかしかったです。見てて。オープニングで「振り付け担当!」と俳優さんを紹介されて(タメ口氏とは別のダンサー)なるほど〜と思って見始めてしまったので先方への印象、「すごいつまんない振り付けする人」になってしまいました…不幸な出会い…。
そのような感じです。他にも色々アレな点があった気がするんですがもう忘れた。記憶から消したい。
不満の後にとってつけたような感想で申し訳ないのですが、片岡正二郎さんとトウヤマタケオさんはとっても良かったです。演技も演奏も。菅原永二さんも求められている役回りをきっちりこなしていてプロだな〜と感じました。御三方がいらっしゃらなかったら、私は途中で席を立っていたと思います。
今回の舞台が本当に良くなかったということはKAATにもご感想として送るつもりでいます。KAATと、長塚圭史さんが好きなので。しょうもない舞台やんないでほしい、マジで。
新年明けましてドール日記【日常】
2024年ですね。今年もよろしくお願いします。
何かがないとブログを書かない人間なので、またドールの話をしに来ました。
前回はこちら。
去年の12月18日にお迎えしたドールを、これでもかと愛でております。人生がめちゃくちゃ楽しい。完全に一目惚れしてお迎えしたドールなので、メイクもボディも全部好みで、眺めているだけでQOLが爆上がりします。書き物が捗らない時などにパソコンの前に置くと「仕事をしない私はこのドールには釣り合わない! ちゃんとしよう!」と言う気持ちになるのでおすすめです。おすすめ?
実は新しい子もお迎えしました。

昨年のブラックフライデーの際にお迎え手続きを行い、年明け早々に来てくれました。Gemさま、仕事が早すぎる。(発送もド年末だったので「冬休み取って!!」って思わず叫んじゃった…)
めちゃくちゃめんこい。ほっぺがふくふくしてる癒し系です。11月の私のメンタルの不安定さが凄まじかったので、「癒しを求めてこの子を選んだんだろうなぁ」と他人事のように噛み締めています。

仲良くなれるかな…? どうかな…? 私はドールオーナーの中では『ウェット』に分類される方だと思うので、ドールに人格があるし、喋ります。先住っ子と後輩っ子が今後どれぐらい仲良くなれるのか、或いはなれないのか(なれなかった場合は別々のタイミングで写真を撮ったり着替えさせたりするので別に問題はないと思ってます、人間同士もそうだけど、絶対全員が仲良くならなきゃいけないわけではないので)という点も含めて見守っていきたいです。

可愛いですね。可愛い。
今年も可愛いものや美しいものに救いを求めながら生きていこうと思います。2024年も、どうぞよろしくお願いいたします。