永遠より少し短い【天の敵(2022)/イキウメ】

ブログを始めることにしました。

感想文をtwitterに流し続けていると自分でもどこになにを書いたのかわからなくなるし、いつかアカウントを消す時に混乱するからです。

いつまで続くかわかりませんが、ブログ、よろしくお願いします。

 

※尚、このブログでは見たり聞いたり読んだりした作品のネタバレをします。

 

下北沢、本多劇場で『天の敵/イキウメ』を見てきました。

再開発後の下北沢に足を踏み入れるのは初めて。駅前の景観はだいぶ変わっていましたが、駅ホームへのアクセスはすごく便利になっていたし、好きだった古着屋さんもカフェも劇場もライブハウスも全部生き残っていたので嬉しかったです。また気軽に遊びに行きたい。あとスーパー、『オオゼキ』の外観がお洒落になっててきゃっきゃしました。

 

『天の敵』、初演版を見ていないので今回が完全に初めてです。

「実はこう見えて、今年で122歳になる」という菜食料理家の一代記。

 

『天の敵』ってなんだろう、「点滴」のことだったりしてな、ワハハ、などと思いながら劇場に足を運んだので、チラシに書かれていた「122歳」のことを完全に忘れていて、突然始まる3秒クッキングに戸惑いの嵐。

イキウメ作品はこれまでYouTubeで配信された作品をいくつか見た程度だったので、作り込まれた舞台装置、それに音楽のチョイスが私が普段見ている劇団や劇作家の作品と全然違って、独特のテンポに引き込まれる……というよりはふわふわした空気の中を揺蕩うような気持ちで物語を追いかけていました。

 

語り手。橋本和夫。長谷川卯太郎。演ずる浜田信也さんの驚くほどの美しさ。一挙手一投足にあんなにも説得力がある俳優さんだったとは。見た目も所作もすべてが光り輝くように美しいのですが、個人的には何よりも、声。あの声で語られる、ひとりの男の人生、まだ終わってない人生。

その語りを受け止める側。寺泊満。持病を患っている。ALS、筋萎縮性側索硬化症。その、妙に具体的な病名が出てきた時にゾワッとして。ゾワッとしたまま話は進んで。だってその病気、治癒方法がない。2022年9月現在もたぶん、ない。手の打ちようがない病気によっていずれ死ぬことが確定している満と、名前を変え身分を変え永遠にも近しい年月を(122年は永遠より少し短いかもしれないけれど)生き続ける卯太郎の対話。

真摯で滑稽で、切なくて馬鹿馬鹿しくて。卯太郎がなぜ「そう」なったのかは物語の中で語られているので、ひとえに馬鹿馬鹿しいとは言い切れないんですが(122年という年月にきちんと歴史が寄り添っている戯曲のうまさを痛感しました)。でも「そう」なることを拒んだ市川しんぺーさん扮する糸魚川と、「そう」なることを望んだ盛隆二さん扮する糸魚川息子のように、明らかに比較できてしまう、人間の馬鹿さ加減を見せ付けられてしまう。

でも自分が、たとえば満の立場だったとして。あの冷蔵庫を覗くだけで諦められるかなぁ。分かんない。ラストシーンも、投げっぱなしのようで投げっぱなしではない。考える余地。ずっと考えてる。大丈夫、大丈夫じゃない、大丈夫。

 

ヤクザと生活して、ボーリングで稼いでる時が本当にいちばん幸せだったんじゃないかな、って思います。好きなシーンでした。トミといた時より、恵といる時よりもずっと、卯太郎が卯太郎でいられたような。そんな感じで。