ごめんね。【ヘルドッグス(2022)/邦画】

9月9日に鑑賞。パンフがお品切れだったので通販で到着するまで感想保留にしてました。

 

www.helldogs.jp

 

公式。

見ない予定でした。正直。理由はこれ。

 

youtu.be

 

ビビりません? ひどくて。

絶対面白くないよこの映画…早く公開始まってくんないかなこの予告編見たくない…(若本ボイスは嫌いじゃないけどこの予告編に於いては最悪)ってずっと思ってました。

で、それとは全然関係なく『沈黙のパレード』を見て、あっそういえばヘルドッグスって北村一輝村上淳と酒匂芳さん出てるじゃん? ほぼ沈黙のパレードじゃない? って気付いて、翌日見に行ってしまいました。

すごくよかった。ビビった。

あの予告編はなんだったんだ…ってぐらい面白かったです。

 

私はそもそも原田眞人監督作品と相性が悪いのですが、時折『検察側の罪人』みたいなめっちゃ面白いな!っていう作品に出会うことがあって、そういう時は大抵キャストが大変素晴らしいんですけど、今回もそういう感じで。

 

ネタバレします。

 

坂口健太郎さんすごい良いですね!? テレビドラマでちらちら顔を見る程度の俳優さんだったので、とにかく演技の圧がすごくて素晴らしかったです。隙あらば文句を挟んでしまって申し訳ないのですが、あのキャラ設定の人物を『サイコボーイ』って称するのはちょっと…かなりデリカシーがないのでは…!? とは思いましたけど…もっと冒頭からぶっ飛んでて目が合ったやつ全部殴るみたいなキャラだと思っていたので、家庭環境やメンタル面の問題、それに例の集会場での振る舞いなどを見ていると、室岡をサイコって言うな!! っていう怒りがものすごくて…見てる間ずっと…。別にサイコじゃない室岡が三神(はんにゃ金田氏名演技でしたね)をアレするシーンでようやく『サイコボーイ』っていう呼称の意味が出たというか、そんな予告編で連呼していい響きじゃないだろ! っていうか……。

 

アクション面ではやっぱり圧倒的に岡田准一なんですが、個人的にはこれは坂口健太郎の映画だな、と感じました。どこにも居場所がなくて、どこにいても生きていくのがしんどかった男の子が、兼高という唯一無二の相棒を(たとえそれが仕組まれたものだとしても)得ることで裏社会できちんと生きていけるはずだったのに──という。

兼高が十朱の秘書に抜擢されて「コンビ解散」を土岐に告げられた際の呆気に取られたというか、絶望の二歩手前、もしかしたら室岡はそれまで本当の「絶望」を知らなかったのではないか…と思わせる表情が圧巻で、室岡には本当に兼高しかいなかったのだな、と。土岐だってそれを知っているはずなのに、あまりにもあんまりな…。

 

ラストの十朱を巡る超展開は結構「あーやっぱり」って感じで、正直に言うと潜入捜査官多すぎ。とりあえず潜入させりゃいいってもんじゃないだろ。十朱でしくってるんだから次々投入するなよ愚かか! って感じでした。落ち着いてほしい。演じているのか酒匂芳さんなのでギリギリ愚かに見えない感じでしたが、いやでもねえ…潜入したやつがどんどん寝返る可能性だってあるでしょうが…。

みやびさんは俳優ではないからこその威圧感がすごくてとても良かったです。圧倒的な美貌ととんでもない殺意と。十朱、良い役柄でした。

 

私がすごく好きだったのは、三神を殺害逃亡後の室岡が土岐のところに戻ってくるシーンで、「オヤジに、ごめんね、って言いにきたら……」のとこでした。あの台詞ですべてに納得してしまったというか。室岡という青年が抱えていた空虚を埋めていたのは間違いなく兼高であり、土岐であり、東鞘会という組織そのものであり、それらすべてが瓦解して手のひらからこぼれていく瞬間、室岡にはもうあのラストシーンしか用意されていなかったのだろうな、と。

 

女性俳優陣も頑張っていたと思うのですが、やはりどうしても男性の世界。食われてしまいますよね。松岡茉優さんは好きな俳優さんなのですが、「わー! 邪魔!」という気持ちを禁じ得ませんでした。ごめん。逆に普段あまり見ることのない大竹しのぶさんは流石の貫禄だな〜という感じで、もしかしたら監督側は松岡茉優さんをファムファタルとして設定していたのかもしれないけど、私にとってのヘルドッグス運命の女は間違いなく大竹しのぶさん扮する典子先生でした。大前田との距離感もよかった。最後ああなるって大前田も分かってたでしょ……。

 

村上淳さんがあまりにも村上淳さんで、なんなら沈黙のパレードと若干キャラかぶってて笑いました。なんでだよ。全体的に全員セリフがもごもごしてる(これはさすがにわざとだと思うけど)作品の中で、セーラー服に言及する村上淳さんの発声だけが異様にハキハキしてて「!?!?」ってなりました。好き。役名が『番犬』なのも好き。スピンオフしてほしい。

 

ちょっと文句、というか疑問点。

パンフが手に入るまで感想書くのを控えていたんですが、ざっと読んでみた感じ「この作品のオマージュ」とか「この作品を参考にした」ってタイトルがめちゃくちゃ出てくるんですよね。原田監督だけでなく、原作の深町氏のインタビューを読んでいても。私は各分野の作家が口にする「オマージュ」は大体「パクリ」だと思っているんですが、ヘルドッグス、こんなに面白いのにあれもこれもオマージュ≒パクリで作られているのか? オリジナルなのは役者の演技と美術だけなのか? と少しばかりがっかり…してしまい…。オマージュとパクリの違いってなんなんでしょうか? たとえばとても素晴らしいノワール映画を見たとして、「俺もあのラストシーンやりたい!」という目標で書かれた作品は、オマージュを捧げてるんでしょうか? それともラストをパクっているんでしょうか? 線引きめちゃくちゃ難しくないですか?

だいぶ難しい問題だなと思いました。でも好きな映画はあるのです、ヘルドッグス。

 

あと。2022年10月現在改修工事に突入しているため2024年まで閉館状態のさいたま芸術劇場がロケ地として使われていて座席から落ちそうになりました。さい芸ことSAF、今年いちばんぐらい通った劇場なので…びっくり…ヘルドッグス、もしかしたら改修前のさいたま芸術劇場を見ることができる最後の映像作品になるのかもしれないな〜と思いました。記録映像としての価値が爆上げです。