『戦場帰りの男はいいぞ』は良くない。【映画】

これは、私個人の意見であり、議論を行いたくて書くものではありません。ただこのモヤモヤした気持ちを抱えたまま年越しを行いたくない、という気持ちで文字を打ち込んでいます。

『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』の感想、解釈、及び二次創作に対し、否定的に触れている部分があります。読みたくないな、と感じた方はここでやめた方がいいかもしれません。

繰り返しになりますが、私の個人的な意見です。

 

『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』は良いアニメ映画だったと思います。水木しげる先生(この先は敬称略とさせていただきます)生誕100年を祝う花火のような映画だったし、水木しげるが大切にしてきたもの、魂にそっと触れるような作りの作品でした。この時点で『因習村!』『犬神家の一族!』というSNSに於ける評判にほんのり嫌悪を感じています。

 

映画を見て、ああ面白かったな、とSNSを覗いたところ、まあ当たり前なのかもしれないんですが作品のメインキャラクターである男性ふたりをカップリングにした二次創作が溢れていました。申し遅れましたが私もオタクです。成人男性がふたり以上存在する作品に触れると、一旦は受け攻めを決めたり、カップリングを組んだりしてみるタイプのオタクです。ですので、メインキャラ同士のカップリングについては「私はそういう気持ちにはならなかったけれど、こことここと組みたい人もいるんですね」という感情を持ちました。

 

問題はその後、でした。

 

正確にはこういうフレーズではなかったかもしれません。

『戦場帰りの男はいいぞ』
PTSDを抱えていて、嘔吐する男はいいぞ』

『戦場で上官から暴行を受ける男はいいぞ』

このような『〜はいいぞ』がSNSに氾濫しているのに気付きました。正直、何を言っているのか全然理解できませんでした。理解できなさすぎて、一瞬SNSから離れたりもしました。当該作品に対する二次創作物がすべて嫌悪の対象になりました。今は、違います。多少考えがまとまったので、こうして文章を書いています。

 

まず。

『戦場帰りの男はいいぞ』

このフレーズに関しては、何度か検索をしてみたのですが、まったく同じフレーズは発見できませんでした。何かと何かを組み合わせて私の脳が勝手に作り出した文章かもしれません。ですが、『戦場』から戻ってきた『心に傷/トラウマ/PTSDを持つ男』を『いいぞ』と消費する感想や二次創作作品については、数多く見かけることになりました。

『戦場』は良くないものです。そこから話をさせてください。劇中の戦場帰りの男・水木──原作者である水木しげると同じ苗字を持つ男──が放り込まれた戦場は、第二次世界大戦です。戦後は遠い、もはや戦後ではない、とはよく言ったものですが、これほどまでに遠くなってしまったのでしょうか。第二次世界大戦という最悪戦争の中での日本という国の立ち回り、日本から戦地に送られた人間たちがどれほど多く殺し、殺され、殺人以外にもさまざまな悪に手を染め、奪い、奪われ、そんな中幸いにも死なずに帰国した復員兵たちが心にどれほどの傷を抱えたのか、考えることはないのでしょうか。

『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』のふたりの主人公の片割れの名が『水木』だと知った時、私はすぐに原作者の水木しげるを連想しました。左腕があるとかないとかそういう話ではなく、『戦場から生きて戻った男』『戦場を見て、聞いて、手を下して、そのすべて記憶に苦しむ男』としての『水木』だと思いました。水木しげるの著作には、第二次世界大戦の戦場を舞台にしたものがあります。『総員玉砕せよ!』、有名ですよね。『〜ゲゲゲの謎』を楽しむに当たって、著作を絶対読め、とは言いません。そういう話をしてないです。ただ、疑問でした。行きたくもない戦場でやりたくもない戦争をさせられ、息絶え絶えに帰国した原作者と同じ名前を冠するキャラクターの戦時中の記憶やPTSDを「いいぞ」と消費する感性が、私にはどうしても受け入れることができませんでした。

 

戦場は、よくありません。戦争も、よくありません。戦場から帰ってきた男が『いい』はずないんです。『PTSD』だって抱えない方がいい。その上、戦場で上官から無理やりに暴行(性的である/ないに関わらず)を受けていたら──いい? それってどこの戦場ですか? 今ここで慰安婦問題についてとか書くつもりはありません。ただ。『〜ゲゲゲの謎』の水木が経験した戦場は、本当にあった戦場です。水木しげるが従軍した第二次世界大戦。地獄のラバウル。仲良くしていた数少ない上官が自害したニューブリテン島。マラリアに罹ったジャングル。失われた左腕。『〜ゲゲゲの謎』の水木=水木しげるではないことは、分かっています。それでも、「『〜謎』はフィクションだから、フィクションの世界の戦場で上官からレイプされる男はいいぞ!」というのはあまりにも倫理? 違うな。なんだろう。何かが欠けている。それが何なのか、今書きながら、言葉に迷っています。ただ、『戦場帰りの男はいいぞ』。これは本当に受け入れられない。フィクションの世界で、ファンによる二次創作で、一切合切すべてが妄想であるとしても、戦場で起きた/起きたかもしれない出来事を『いいぞ』と消費するのは、あまりにも誠実じゃない。

戦争は実際にあった。水木しげるはそこから戻ってきた作家です。その作家の生誕100年記念映像作品から生まれてくる感想、『戦場帰りの男は』『PTSD持ちの男は』『上官に性的暴行を受ける男は』『いいぞ』。

繰り返しになりますが、これは私の個人的な感想です。だから「おまえが無理だからって全否定してくるなよ」と思われたらそこで終了です。議論する気はありません。これは私の感情です。

 

もう少しだけ。

たとえば戦場帰りの男の話。徴兵され、海を渡りこそしなかったものの『戦争』を体験した監督。岡本喜八監督。「戦争に行きたくない。死にたくない」と故郷から逃げたにも関わらず、実の母親の密告によって憲兵に捕らえられ、中国の戦場に送られたのは俳優の三國連太郎さんです。さて。岡本喜八監督の映画といえばやはり『独立愚連隊 西へ』でしょうか。戦場を描いた作品です。コミカルな描写が印象に残りますが、「人間の命は地球より重いか軽いか?」という台詞が染み入ります。三國連太郎さんは、戦場で銃を手にすることはなかった、と聞いたことがあります。殺したくも、殺されたくもない、切実な気持ちがそこにはあります。

 

『戦場帰り』『PTSD』『上官からの性的暴行』を『いいぞ』と感じる人の心を変えようとは特に思っていません。無理だし。ただ私は、それらの要素を『いいぞ』とは思えず、SNSに向き合うのもしんどく、何なら『〜謎』を見たことを後悔すらしたのですが──ようやく気持ちがまとまったので、こうしてブログに書いています。

 

そういえば、私の大好きな俳優、勝新太郎さんと田宮二郎さん主演の『悪名』というシリーズがありまして。二作目に当たる『続悪名』で勝さん扮する朝吉に召集令状が届き、戦地に送られてしまうんですね。その際、朝吉の妻を含めた周りの人々は「お国のために」と宴を開いて朝吉を盛大に送り出そうとする中、田宮さん扮するモートルの貞だけが「死なないでほしい」と朝吉に告げるシーンを、この文章を書いていて思い出しました。

戦争に行くと、人を殺さなくちゃいけない。死ぬかもしれない。心に一生消えない傷を負うかもしれない。誰かの心を傷だらけにするかもしれない。大事な人には、戦場になんて行かないでほしい。戦争なんて起きなければいい。今もこの世界のどこかで戦争は起きていて、いつ終わるのかも分からない。大勢が死んでいる。心に傷を負っている。命と尊厳を奪われ続けている。

 

『戦場帰りの男はいいぞ』──本当に?

私は、良くないと思います。以上です。