板の上で福田和子を『再構築』する。【ビコーズカズコーズ Because Kazcause/ケダゴロ(2023)】

福田和子、という名前をご存知でしょうか。知らない方は検索してみてください。たぶんWikipediaがいちばん上にくると思うんですが、本人が書いた本とか、福田和子という人物をモチーフにした映像作品なんかもあると思うので、見てみると分かりやすくて良いかもしれません。余談ですが、私の初・福田和子は阪本順治監督の映画『顔』でした。母がレンタルして来て家で見ていたのを横目で見たのが最初の記憶です。なんか怖かったです。近いうちにまた見たいです。

 

というわけで。福田和子をモチーフに舞台を、それをダンスの舞台を!? という完全な好奇心でチケットを取りました。ケダゴロ『ビコーズカズコーズ Because Kazcause』です。

www.kedagoro.com

 

ケダゴロに出会うのは二度目です。一度目は昨年KAATで見た『세월』でした。正直、なんてものを作るんだと思いました。ケダゴロの舞台は、舞台です。ドキュメンタリーではありません。セウォル号沈没事故が起きたのは2014年。上演されたのは2022年。私の中ではまだセウォル号の事件は過去ではなく、現在進行形で、だからこそどうにも心の置き場がなく、しかしケダゴロという集団のパフォーマンスのソリッドさ、ストイックさ、ちょっとしたユーモア、出演者ひとりひとりの魅力から逃れることができなくて、もやもやしつつも「見て良かった…な…?」と思ったのを覚えています。

 

fusetter.com

↑当時書いた세월の感想。我ながら迷いがすごいですね。

 

さて、そんなこんなで『ビコーズカーズコーズ』。実はチケットを予約したことを忘れていました。窓口支払いって久しぶりすぎて…ケダゴロさんからリマインドメールがきて「親切!!」ってなりながら池袋に向かいました。

 

場所は池袋、東京芸術劇場シアターイースト。全席自由席。

いい感じのチケット。

今回は題材が『福田和子』ということもあり、被害者のいる事件を起こした人物ではあるものの自分が住んでいる日本で事件を起こした人で、当人は逮捕後病死していて、なんとなく自分の中で「終わった事件の話を見る」という余裕が──あったんですが……

 

いや、全然終わった事件じゃなかった。むしろ舞台の上で事件が起きていた。

 

これは冗談とかボケとかではなくて、本当に、ケダゴロという集団の手によって舞台の上に福田和子の人生が……生まれた瞬間からではないけれど、罪を犯したことのある福田和子が、また、犯罪被害者である福田和子が(収監中に強姦の被害に遭ったことがあり、被害届を出すことさえできなかった、という話は意外と知られていないのかなと思った)、目の前に、いた。

 

ほぼ真四角の舞台の上に組まれているのは一見普通の和室を思わせるセット。でもその頭上には鉄の柵が組まれていて、福田和子は地上と、宙空を行ったり来たりする。『ビコーズカーズコーズ』に出てくる福田和子は全部で8人。福田和子が「7つの顔を持つ女」と報道されていたのはなんとなく知っていたんですが、では8人目は? この舞台の上に現れる8人目……クローゼットの中に隠されていた、ブルーシートに包まれていた8人目の福田和子は、いったい誰だ?

 

8人の福田和子たちと共に舞台上に立つのはニュートンアインシュタインを思わせるふたりの男性。彼らは福田和子を追いかける刑事になったり、彼女を彼女と知らぬままに関係を持つ男性になったり、善意の協力者になったり、悪意の塊になったりする。男性たちとの攻防によって、8人の福田和子たちは8人のままになったり、時には団結してひとりの人間に戻ったりする。鉄の柵の上に逃げる福田和子たちが手と手を取り合い、とにかく色々な方法を駆使してひたすらに逃げる、逃げて逃げて逃げまくる、それはもしかしたら滑稽な光景なのかもしれないけれど、自分の犯した罪から逃げるのと同時に、自分が被害者になった時に守ってくれなかった司法や、加害者である男性たちから逃げているのかもしれなくて、でもその男性たちも時には地上に転落しそうになる和子たちが無重力の世界に逃げるのを手伝ってくれたりする。不思議。でもこれが人間なのかも。

 

8人目の福田和子は、我々なのかもしれない。傍観者であるはずの我々。

 

ちょこちょこと台詞が挟まれるのですが結構聞こえなくて、でもその聞こえなさにも意味があるように思えて。音楽にかき消されたり、周りの人間たちの叫び声に塗り潰されたりして。届かなかった声かもしれない。「捕まらんよ」という強い声と強い瞳は確かに届いているのに、それ以外の小さな声、静かな響きは私のところまではやって来ない。

 

舞台の上に、私の知らない福田和子という女性がいる。ケダゴロという集団の作風を、ようやく理解できたような気がした。まだ2作しか見てないけれど、舞台上で行われるのは起きてしまった事件、存在した人間、それらの再構築なのだ。ドキュメントじゃない。ノンフィクションじゃない。フィクション。でも全部が嘘ってわけじゃない。もしかしたら福田和子ってこうだったのかも。私が思っているよりも──そういう人間だったのかも。これは「終わった事件」ではない。今もまだ続いている、たとえ本人の人生の幕が降りても続いている、福田和子という人間の、誰も知らない人生の、再構築だ。

正解はない。だから傍観者である私も、考え続けなければならない。

 

これは舞台前アナウンスにビビりつつ書いたメモ。ケダゴロは開演前から色々仕込んできますよね。今後も15分前ぐらいには席に着いておきたい。

60分の情報量じゃないよぉ…しんどい…となりつつも物販でしっかり買い物しました。トートバッグいっぱいありすぎてちょっと笑ってしまった。